敵はお前だ

授乳について、私は幸いなことに母乳がよく出る方だが、1日1回はミルクをあげている。これは、清水瑠衣子さんという方の本に、そのようにして哺乳瓶に慣れさせておくことで、誰かに預けた時に哺乳瓶だと嫌がって飲まない飲まない「乳頭混乱」を避けることができると書いてあったからだ。これのおかげで夫1人でも問題なく授乳が行えるため、私は長時間1人で外出することができる。

なので、検診や助産師訪問で母乳かミルクか聞かれる時、私は1日1回はミルクです、と答えている。そうすると大抵の人(助産師さん?)は不思議そうな顔をする。えーと母乳出るんだよね?なんで?みたいな顔だ。だから私は上記を説明するのだが、「預ける?お仕事か何かで?」「いえ主人に」「ああ、なるほど」みたいなやりとりが行われることになる。

母親が3,4時間1人で外出するのはそんなにおかしいのか?母親は自分の時間を持ってはいけないのか?被害妄想かもしれないけど、母親は子供のために我慢して、尽くすべきという考えが蔓延しているように思える。子供と離れて自分1人の時間が欲しいとでも言おうものなら「お前は子供が可愛くないのか?母性がないのか?」と責められかねないからタチが悪い。

「世の中のお母さんはみんなやってることだから」という考え方もやばいと思う。みんな我慢していたことだから自分も我慢すべきという考え方は出産するまでとんとしてなかった、というか、したことがあるかも怪しい、というかそんな考え方があるのかというぐらい驚いた。むしろ、私はIT系の企業に勤めているのだが、従来の御用聞き形式の仕事の取り方じゃなくて世の中の課題を解決するソリューションを新規ビジネスとしてどんどんやっていこう、という流れがここ数年あったので、何か困ったこと=カネのにおい!だったのだ。日常生活で困ったことを言い合って新規ビジネスを検討するアイデアソンなんかもやったりしていた。だから、子育てで困ったこと、辛いことが起こった時に我慢するというのはビジネスチャンスを潰しているわけで、もったいないのだ。だいたい洗濯機だって車だって、手で洗濯するの大変だなー、とか、長い距離を歩くの大変だなー、とか、困ったことを解決するために発明されたわけだ。つまり、困ったこと、辛いことを我慢してしまっては文明は進歩しないのだ。それが、育児に関してのみ「母性」という呪いの言葉に邪魔されて、いつまでたっても我慢させられるわけだ。このクソみたいな母性のせいでシッターやヘルパー等の商売がいまいち普及していない気がする。そして母親たるものかくあるべき像を押し付けているのは、母親として我慢してきた女性たちだ。これは里帰り出産した時に自分の母親を見て感じたことだ。自分だって我慢してきたんだから、お前達も我慢すべき、という虐待されてきた人がその子供にも虐待を繰り返す負の連鎖みたいな現象が起こっている。世の中の母親の敵はかつての母親達だ。辛いこと困ったことは、割りを食っている人が言い出さない限り世間に認識してもらえない。この負の連鎖は私達の代で断ち切るしかない。

理性で育児

夫と子供との生活を始めて何ヶ月かが過ぎた。

前にも書いたように、夫は育児を非常に良くやっている。イクメンと言って全く問題ないだろう。

しかし、危なっかしく、見ていてもどかしい時がある。夫が寝かしつけで手こずったり、お風呂に入れるのにモタモタしている時「あーもういい見てらんない、貸して、私がやる!」と言いたくなる。言いたくなるのを理性でぐっとこらえる。

なぜか?

そこで私が夫から仕事を奪うことで、夫はいつまでたっても育児スキルが上がらないし、また、「嫁がやってくれるなら自分はやらなくていいんだ」と夫のモチベーションが下がるからだ。その結果何が起こるか?例えば、私が風邪をひいた時、夫は何もできないだろう。そして、私が全てやる羽目になる。風邪でしんどいのに。「この仕事はこの人にしかできない」状態を作るということは、結果的に、自分を苦しめることになるのだ。

私は一応10年ほど会社員経験があり、このような考え方をするのはその影響だと思う。会社では、誰か1人が欠けても業務が滞りなく回ることが必要とされる。したがって、いくらその人本人のスキルが高くても、後輩や部下に仕事を割り振ることができなく自分でやってしまう社員は、人材を育成できないとして評価されない。

だから、私は夫に育児を任せる。信用できるかといえば、できない。心配だ。でも私だって育児を始めてまだ数ヶ月の新人だ。毎日面倒を見ているからほんの少し慣れているだけであり、夫に対してえらそうに先輩面できるほどベテランではない。それに夫だって育児に関しては新人だが、いい年した大人だし、会社ではそれなりに大きな仕事を任せられるぐらいにはまともな人間だ。つまり私も夫も大した変わりはない。そんなことを自分に言い聞かせながら寝かしつけもお風呂も私が助けることなく夫1人でやってもらっている。週に一度は3,4時間私1人で外出もしている。子供と離れることでリフレッシュでき、また頑張ろうという気になれる。

本能ではなく理性で育児。自分1人に負担がかからないようにすることで、みんな幸せになれるのではないかと思う。

夫の育児

里帰り出産を終了させ再び夫と暮らしだしたある日、夫が「夜中のオムツ替えは自分がやる(から授乳だけ君がやって)」と提案してきた。当初、次の日仕事がある夫を夜中起こすのは申し訳なく思い夜中のオムツ替えと授乳は私がやっていたのだ(こういう時会社員の経験があって良かったと思う。私は思いやりのある女ではなく、自分に置き換えたら辛いと想像できるだけの話だ)。寝不足になるんじゃない?と私が聞くと夫は、オムツ替えだけでもやらないと、自分は平日子供と関わりが一切持てないと言った。その頃子供は7時半に起き、19時に寝るというスケジュールだった。夫の出勤は7時、帰宅は20時だ。たしかに起きている子供と触れ合える時間は一切ない。なるほどと思い、夜中のオムツ替えは夫の担当となった。しかし空腹で夜中起きる子供を抱っこしたところで泣き止むわけがない。平日の夫と子供の触れ合いは泣き叫ぶ子供のオムツ替えと泣き止むわけのない無駄な抱っこ、授乳する私への受け渡しのみとなった。私は夫をかわいそうに思った。友達に聞いてもどこも似たような状況だった。夫の出勤時刻が遅い家は朝のオムツ替えを担当してもらっているとのことだったが、「毎日子供の寝顔しか見ていない」は我が家でも現実となった。

この状況は、単純に夫がかわいそうなだけではない。子供と触れ合う時間を十分に持てないことで、子供が夫に懐かなくなる、あるいは夫の当事者意識が薄れ、その結果育児の負担が私のみにのしかかる不安があった。夫が平日も子供と触れ合えるようにするには夫が育休を取得する、夫が在宅勤務をする、夫が早く帰宅し、子供が寝た後その日やり残した仕事をする、等の解決策が挙げられるが、それらのどれも現実的でないように思えた。

そんなある日、夫の会社で在宅勤務制度をトライアルで導入することになった。既にいくつかの支社で実施済みであり、好評と鳴り物入りだった。ちょうど子供が産まれたばかりの我が家はその対象となった。早速利用してみることにしたが、なんとも微妙だった。というのも、家にいられるということは、育児なり家事なり何らかを期待してしまうのだ。しかし、仕事というものは待ち状態になることがある。誰かの回答待ちだったり承認待ちだったり。そしてその回答なり承認は急に訪れる。つまり、待ち状態の時は家事や育児をしてくれるが待ち状態が解除された途端不可能になる。だから、待ち状態の時に子供と遊んで、何か頼みたいことができた途端待ち状態が解除されたりするのだ。これが結構ストレスが溜まる。自分のやりたいことだけやってるんじゃないのか?と疑いたくなるのだ。つまり、汚いこと・大変なこと(寝ぐずっている時に抱っこして泣き止ませる、オムツ替え等)の時は忙しいふりをして、楽しいこと(子供と遊ぶ、哺乳瓶でミルクをやる)だけやっているのでは?思ってしまうのだ。一応仕事中ということになっているのでこちらから用事を頼むこともしづらい。

そこで、支社で好評だったというのがあやしく思えてくる。好評なのは男性社員だけで、その奥さん方は在宅勤務なんて迷惑がっているのでは?と。そこで、制度を利用するにあたって、家族である私もアンケート答えるかな?と聞いてみたが、そんなものはないとのこと。子供と関わる時間を確保する方法として、在宅勤務は良い解決策となるのだろうか?私にはまだわからない。

子供産んで良かった?(産後すぐ)

子供を産んで良かったか?というと、いまいちよくわからない。なので、いくつかの要素に分解して考えてみた。

子供は可愛いか?というと、それは可愛い。だがその可愛さも不思議だ。よく犬猫のようなペットの可愛さとどう違うのか?という話があるが、犬や猫は自分でこの子にしよう、と決めて買うなり貰うなりするので自分の好みのルックスの子を飼うことができる。だから可愛いのは最初からわかっている。というか、正直ルックスの可愛さだけで言えば犬や猫の方が可愛いと思う。それに対して自分の子供はどうかというと、自分でルックスを選べるわけではないので博打だ。でも可愛いなあと思う。しかしいまいちなぜ可愛いのかがよくわからないのだ。客観的に見て、中の上ぐらいかなあ…?と思っているが、それもあやしい。他人から見れば下の下かもしれない。大体私は自分の顔を良く見積もって大体60点ぐらいと思っており、夫もまあそんなところだ。そこから中の上の子供が産まれるわけがない。のだが、じっと子供を見ていると、「あら?この子、もしかして可愛いんじゃない…?」「おむつのCMいけるんじゃね?」となってしまうので、自分の子供だから、という不思議なフィルターがかかっているのだと思う。しかし、今育てている子供が自分の子供かもあやしいものだ。もしかしたら病院で取り違えられているかもしれないし、もっといえば人工授精の段階で取り違えられていて、よその知らない男性との子供かもしれない。ということは、自分の子供だから可愛いというわけではないはずなのだ。そして可愛さは少しずつ上がってくると思う。大体生後1ヶ月ごろで、ニッコリ笑ったり、アクーとかウクーとかいうクーイングというものが始まり、これがまた可愛い。新生児の時は泣くか寝るしかなかったのでそこからの可愛さレベルの上がり方は大きい。しかし相対的に上がったというだけで、絶対値でいうとマイナスからゼロとかマイナス1000からマイナス500になったぐらいなのだと思う。見た目だって、産まれたては本当にものすごかった。色が赤黒いというか若干紫っぽかったし手足もガリガリだった。目も腫れぼったくて古田新太みたいだ。点数にしてみればマイナスだ。そこから肉がついて目の腫れもひいて、少し人間ぽくなってきた。なので、なんか騙されているような感じなのだ。誰に?という感じだが。どんどん可愛さが増してくるけど騙されるなよ、マイナス1000がマイナス500になっただけだぞ、と言いたくなるのだ。

あと、育児がものすごく大変だ。とにかく体力的にしんどい。大学生の時にやっていた飲食店のバイトを思い出す。「子供可愛いよ〜早く作りなよ〜」なんて軽々しく言えない大変さだ。2人目なんてとんでもない、この地獄をもう一度だと?というレベルだ。だから大変だけど可愛いという意味がよくわかった。

それから、以前、子供がいない頃は人生がなんだか退屈になってしまったが、子供が産まれてからはちっとも退屈ではない。良い意味でも悪い意味でもだ。毎日今日を生き抜くので精一杯、といった感じだ。ランニングマシンみたいだ。退屈か、大変すぎるか、極端すぎるのだ。

そんなわけで、子供を産んで良かったかというとプラマイトントンというかんじだ。

 

 

 

母娘問題

私は産前から産後1ヶ月ほど実家に滞在した、いわゆる里帰り出産だったのだが、いわゆる産後うつとおぼしき状態になったことが二度ほどある。どちらの時も涙が止まらず、もう死にたいと思った。いや正確には、どうしても子供の世話をする気になれず、死んでくれればいいのにと思ったが、殺して捕まるのは嫌なので、じゃあ自分が死にたいと思った。そしてその二度とも母が発端だった。

全ての母親がそうではないと思うが、私の母は自分の知らないことは間違っていると決めつける人間だった。とにかく私のやることなすことに口出しをし、文句をつけた。具体的にはおくるみによるおひな巻きやジーナ式に代表される赤ちゃんの生活スケジュール管理、背中をボスボスと叩くあやし方だ。そのどれもをかわいそうと言い、あまつさえ私を冷たいと罵った。前半2つは世界的に有名な助産師や小児科医が推奨する方法で、最後の1つは私が入院した産院の助産師に教えてもらった方法であり、信用して問題ないはずである。にも関わらず母は、たった2人しか子供を育てたことのない自分を根拠なく信用し、数え切れないほどの赤ちゃんの面倒を見た経験のある助産師を信用しないのだ。

また私(達)はなまじっか社会人経験があるため「〜〜をするためには〜〜の必要があるから〜〜しよう」ロジカルな思考パターンになりがちだが、母は「なんとなく」かわいそう、「なんとなく」〜〜した方が良い、と感覚で意見してくるため「なんでそう思うの?」と聞いても「なんとなく」という答えしか返ってこず、「これだから社会に出たことのない専業は!」と心の中で毒づいていた。

私は上記の方法を試してその都度母に咎められ、その何度目かに私は激怒して「そんなに自分の好きなようにやりたければこの子はくれてやる。私はもう1人作るから」と言い放ち、そこでようやく母は私のやり方に口出しをしないと約束した。「謝れ」「ごめんなさいと言え」と何の躊躇もなく口をついて出たのでよほど頭に来ていたのだろうと思う。

私の友達も母と育児方針で揉めたという人が多いのであるあるなのだと思うが、とかく母親と娘というのはぶつかるものであり、その関係性はおそらく父娘や父息子、母息子とは異なる種類のものだと思う。山岸凉子よしながふみの漫画で描かれていたと思うが、母親は娘を同性のライバルとして見ている節がある。自分は子育ての先輩であり、娘は常識のない初心者。娘をいつまでも半人前の子供と思い込み、娘のやることなすこと全てを信用しない。そりゃあ子育て歴1ヶ月の新人なので経験がないのは当然なのだが、私は既に30を超えたいい大人であり、ある程度の社会経験があり、やって良いことと悪いことの区別ぐらいついている。にも関わらず母親にはそれがわからないのだ。子供の頃のように、いつまでも非常識で無茶なことをすると思い込んでいるのだ。そんなことやるわけないだろう、というようなことをやると思い込んでいる。とにかく私個人を信用しないので、私の場合は、私が実践していた育児方法が書かれている本を読ませることでなんとか信用させるに至った。

いつか娘が里帰り出産する時は口出ししないようにしたい。

育児という仕事

一ヶ月ほど育児をしてみて思ったのは、育児は大変だが、誰にでもできるということだ。そんなの当然のことじゃない?と思うかもしれないが、「育児って誰にでもできる仕事だよね?」と言うと、たいていの場合(おそらく多くの場合母親から)「そんなことない!」とすごい剣幕で反論されるだろう。実際「育児 誰にでもできる」で検索すると、「そんなことありません!!」の嵐だ。しかしその続きをよくよく読んでみると、「人には向き不向きがある」とか「教養をつけさせたり躾をしたり大変なんです!!」といった回答がずらりと並ぶのだが、向いてないからといって、まるっきりできないわけではないだろう。それに、「誰にでもできる」イコール「大変じゃない」とは言っていない。もちろん大変だし、向き不向きがある(、というのは例えば専業主婦になってずっと育児をするか、保育園に預けて働くかどっちか選べるとしたら、働く方を選ぶかなーという人はどっちかといえば育児よりは仕事のほうが向いている、とかそんなかんじだろう)のは確かだろうけど、別に国家資格が要るとか特殊能力がないとできないことではない。そりゃそうだ。だって、そんなに育児が難しかったら人類はここまで繁栄していないだろう。誰にでもー男でも女でも、あるいは若者でも老人、は厳しいか、おじさんでもおばさんでもーできることだから、人類はここまで繁栄してきたのだ。それがただ、結婚するしない、子供産む産まない、という選択をできるようになったから、じゃあ育児大変そうだし仕事のほうが楽しいから子供は産みません、という人が出てきた、というだけの話だろうと思う。そして、教養とか躾の話は程度問題だ。例えば「子供を東大に合格させる」のは難しい。たぶん私は何回チャンスをもらったってできない気がする。それに、別に東大とまではいかなくても、ごく人並みに、一生自分で生きていける程度に学歴をつけさせたり、結婚できる程度にきちんとした性格で、身なりに気を使う人間に育てあげるのだって、きっと難しいことだろう。でも、がんばればできる程度のことであって、逆立ちしたって無理!というほどレベルの高いことではない。そういう意味で、「誰にでもできる」ことなのだと思う。そりゃあもちろん自分ががんばってヒイヒイ言いながらやってることを、その苦労を知らない人から「誰にでもできる」呼ばわりされたら「そんなことない!」と反論したくなるのはよくわかるのだけど。

出産してすぐの頃

あたたかいある日、私は子供を産んだ。

出産は壮絶だったがそれはさておき、私が一番驚いたのは夫の変わり様だった。さほど子供好きそうでない、むしろ子供嫌いだと思っていた夫がものすごく子供を可愛がっていたのだ。

何度も子供の顔を見ては可愛いとかどのパーツが自分に似ているとか言い(一応言っておくと新生児なので顔に特徴はなく、もちろん誰にも似ていない)、オムツ替えや抱っこを率先して行い(私がまだ動けないからというのもあるが)、似たような写真を何枚も撮っては家族用の写真共有アプリにアップロードし、面会終了時間になると「帰りたくな〜い」と言いながら名残惜しそうに病室を去って行った。また、ある時ふと目に入った夫の携帯の待ち受けは子供の写真だった。私がそれまで、あるいは今もなお、最もバカにしていた(している)類の人種、つまり、子供しか話題がないようなつまらない人間、に夫はなってしまったのだった。なぜだ?私はまだ自分のおなかの中でどんどん子供が大きくなっていったり動いたり自分のおなかから出したりして自分の子供という実感があるが、もしかしたら夫の子じゃないかもしれないじゃないか。ホルモンが出ているわけでもないくせにどうした?一体いつそのスイッチが入った?

子供に無関心な夫に比べたら非常に喜ばしいことなのだが、なんだか面食らってしまった。私だけが子供を持つことを拒否し続けてきたのだろうか?

そして私自身はといえば、何だか得体の知れないプレッシャーや不安を感じていた。

一つ目は、「もうのっぴきならない所まで来てしまった、私はこの子が一人前になるまで責任を持って育児を全うできるだろうか?」ということ。自分自身ですら自分の人生に苦労しているのに、自分の人生に100%満足しているわけではないのに、この子に幸せな人生を歩ませることはできるのだろうか?という自信のなさ。

二つ目は、夫が子供優先になってしまうことで、それまでの彼にとってのナンバーワンの座を奪われる恐怖。夫が妻に対してそういった感情を抱くケースはよく聞くが、逆はあまり聞かない。「旦那 イクメン 寂しい」等と検索しても自分と同じケースにヒットしないことがなおさら不安を煽った。多分予想に反して夫の子煩悩っぷりを見てしまったことによる戸惑いからなのだろう。妊娠以前のように、男女の関係にはもう戻れず、「パパママ」の関係になってしまうのだろうか?そしてまた、自分自身がまだ「ママ」になりきれず、出産後もいまだに夫と男女の関係でいたいと思い続けていることにも不安を感じた。やっぱり自分には育児は向いていなかったのだろうか?たしかに子供は可愛い。小さくてフニャフニャしてて、泣いてもちっともうるさいと思わない。でも、よく見かけるような「かけがえのない愛おしい存在」とかいうほど大袈裟な感動はなかったのだった。出産直前まで陣痛にビビり「やっぱやめたい」とまで思った。産まれたての子供の顔を見ても、「土偶に似てるなあ…」とどこか冷めたような感覚だった。可愛いとは思うが、どこか入り込めない自分と、どっぷり入り込んでいる夫とのギャップに悩んでいた。