夫の育児

里帰り出産を終了させ再び夫と暮らしだしたある日、夫が「夜中のオムツ替えは自分がやる(から授乳だけ君がやって)」と提案してきた。当初、次の日仕事がある夫を夜中起こすのは申し訳なく思い夜中のオムツ替えと授乳は私がやっていたのだ(こういう時会社員の経験があって良かったと思う。私は思いやりのある女ではなく、自分に置き換えたら辛いと想像できるだけの話だ)。寝不足になるんじゃない?と私が聞くと夫は、オムツ替えだけでもやらないと、自分は平日子供と関わりが一切持てないと言った。その頃子供は7時半に起き、19時に寝るというスケジュールだった。夫の出勤は7時、帰宅は20時だ。たしかに起きている子供と触れ合える時間は一切ない。なるほどと思い、夜中のオムツ替えは夫の担当となった。しかし空腹で夜中起きる子供を抱っこしたところで泣き止むわけがない。平日の夫と子供の触れ合いは泣き叫ぶ子供のオムツ替えと泣き止むわけのない無駄な抱っこ、授乳する私への受け渡しのみとなった。私は夫をかわいそうに思った。友達に聞いてもどこも似たような状況だった。夫の出勤時刻が遅い家は朝のオムツ替えを担当してもらっているとのことだったが、「毎日子供の寝顔しか見ていない」は我が家でも現実となった。

この状況は、単純に夫がかわいそうなだけではない。子供と触れ合う時間を十分に持てないことで、子供が夫に懐かなくなる、あるいは夫の当事者意識が薄れ、その結果育児の負担が私のみにのしかかる不安があった。夫が平日も子供と触れ合えるようにするには夫が育休を取得する、夫が在宅勤務をする、夫が早く帰宅し、子供が寝た後その日やり残した仕事をする、等の解決策が挙げられるが、それらのどれも現実的でないように思えた。

そんなある日、夫の会社で在宅勤務制度をトライアルで導入することになった。既にいくつかの支社で実施済みであり、好評と鳴り物入りだった。ちょうど子供が産まれたばかりの我が家はその対象となった。早速利用してみることにしたが、なんとも微妙だった。というのも、家にいられるということは、育児なり家事なり何らかを期待してしまうのだ。しかし、仕事というものは待ち状態になることがある。誰かの回答待ちだったり承認待ちだったり。そしてその回答なり承認は急に訪れる。つまり、待ち状態の時は家事や育児をしてくれるが待ち状態が解除された途端不可能になる。だから、待ち状態の時に子供と遊んで、何か頼みたいことができた途端待ち状態が解除されたりするのだ。これが結構ストレスが溜まる。自分のやりたいことだけやってるんじゃないのか?と疑いたくなるのだ。つまり、汚いこと・大変なこと(寝ぐずっている時に抱っこして泣き止ませる、オムツ替え等)の時は忙しいふりをして、楽しいこと(子供と遊ぶ、哺乳瓶でミルクをやる)だけやっているのでは?思ってしまうのだ。一応仕事中ということになっているのでこちらから用事を頼むこともしづらい。

そこで、支社で好評だったというのがあやしく思えてくる。好評なのは男性社員だけで、その奥さん方は在宅勤務なんて迷惑がっているのでは?と。そこで、制度を利用するにあたって、家族である私もアンケート答えるかな?と聞いてみたが、そんなものはないとのこと。子供と関わる時間を確保する方法として、在宅勤務は良い解決策となるのだろうか?私にはまだわからない。

子供産んで良かった?(産後すぐ)

子供を産んで良かったか?というと、いまいちよくわからない。なので、いくつかの要素に分解して考えてみた。

子供は可愛いか?というと、それは可愛い。だがその可愛さも不思議だ。よく犬猫のようなペットの可愛さとどう違うのか?という話があるが、犬や猫は自分でこの子にしよう、と決めて買うなり貰うなりするので自分の好みのルックスの子を飼うことができる。だから可愛いのは最初からわかっている。というか、正直ルックスの可愛さだけで言えば犬や猫の方が可愛いと思う。それに対して自分の子供はどうかというと、自分でルックスを選べるわけではないので博打だ。でも可愛いなあと思う。しかしいまいちなぜ可愛いのかがよくわからないのだ。客観的に見て、中の上ぐらいかなあ…?と思っているが、それもあやしい。他人から見れば下の下かもしれない。大体私は自分の顔を良く見積もって大体60点ぐらいと思っており、夫もまあそんなところだ。そこから中の上の子供が産まれるわけがない。のだが、じっと子供を見ていると、「あら?この子、もしかして可愛いんじゃない…?」「おむつのCMいけるんじゃね?」となってしまうので、自分の子供だから、という不思議なフィルターがかかっているのだと思う。しかし、今育てている子供が自分の子供かもあやしいものだ。もしかしたら病院で取り違えられているかもしれないし、もっといえば人工授精の段階で取り違えられていて、よその知らない男性との子供かもしれない。ということは、自分の子供だから可愛いというわけではないはずなのだ。そして可愛さは少しずつ上がってくると思う。大体生後1ヶ月ごろで、ニッコリ笑ったり、アクーとかウクーとかいうクーイングというものが始まり、これがまた可愛い。新生児の時は泣くか寝るしかなかったのでそこからの可愛さレベルの上がり方は大きい。しかし相対的に上がったというだけで、絶対値でいうとマイナスからゼロとかマイナス1000からマイナス500になったぐらいなのだと思う。見た目だって、産まれたては本当にものすごかった。色が赤黒いというか若干紫っぽかったし手足もガリガリだった。目も腫れぼったくて古田新太みたいだ。点数にしてみればマイナスだ。そこから肉がついて目の腫れもひいて、少し人間ぽくなってきた。なので、なんか騙されているような感じなのだ。誰に?という感じだが。どんどん可愛さが増してくるけど騙されるなよ、マイナス1000がマイナス500になっただけだぞ、と言いたくなるのだ。

あと、育児がものすごく大変だ。とにかく体力的にしんどい。大学生の時にやっていた飲食店のバイトを思い出す。「子供可愛いよ〜早く作りなよ〜」なんて軽々しく言えない大変さだ。2人目なんてとんでもない、この地獄をもう一度だと?というレベルだ。だから大変だけど可愛いという意味がよくわかった。

それから、以前、子供がいない頃は人生がなんだか退屈になってしまったが、子供が産まれてからはちっとも退屈ではない。良い意味でも悪い意味でもだ。毎日今日を生き抜くので精一杯、といった感じだ。ランニングマシンみたいだ。退屈か、大変すぎるか、極端すぎるのだ。

そんなわけで、子供を産んで良かったかというとプラマイトントンというかんじだ。

 

 

 

母娘問題

私は産前から産後1ヶ月ほど実家に滞在した、いわゆる里帰り出産だったのだが、いわゆる産後うつとおぼしき状態になったことが二度ほどある。どちらの時も涙が止まらず、もう死にたいと思った。いや正確には、どうしても子供の世話をする気になれず、死んでくれればいいのにと思ったが、殺して捕まるのは嫌なので、じゃあ自分が死にたいと思った。そしてその二度とも母が発端だった。

全ての母親がそうではないと思うが、私の母は自分の知らないことは間違っていると決めつける人間だった。とにかく私のやることなすことに口出しをし、文句をつけた。具体的にはおくるみによるおひな巻きやジーナ式に代表される赤ちゃんの生活スケジュール管理、背中をボスボスと叩くあやし方だ。そのどれもをかわいそうと言い、あまつさえ私を冷たいと罵った。前半2つは世界的に有名な助産師や小児科医が推奨する方法で、最後の1つは私が入院した産院の助産師に教えてもらった方法であり、信用して問題ないはずである。にも関わらず母は、たった2人しか子供を育てたことのない自分を根拠なく信用し、数え切れないほどの赤ちゃんの面倒を見た経験のある助産師を信用しないのだ。

また私(達)はなまじっか社会人経験があるため「〜〜をするためには〜〜の必要があるから〜〜しよう」ロジカルな思考パターンになりがちだが、母は「なんとなく」かわいそう、「なんとなく」〜〜した方が良い、と感覚で意見してくるため「なんでそう思うの?」と聞いても「なんとなく」という答えしか返ってこず、「これだから社会に出たことのない専業は!」と心の中で毒づいていた。

私は上記の方法を試してその都度母に咎められ、その何度目かに私は激怒して「そんなに自分の好きなようにやりたければこの子はくれてやる。私はもう1人作るから」と言い放ち、そこでようやく母は私のやり方に口出しをしないと約束した。「謝れ」「ごめんなさいと言え」と何の躊躇もなく口をついて出たのでよほど頭に来ていたのだろうと思う。

私の友達も母と育児方針で揉めたという人が多いのであるあるなのだと思うが、とかく母親と娘というのはぶつかるものであり、その関係性はおそらく父娘や父息子、母息子とは異なる種類のものだと思う。山岸凉子よしながふみの漫画で描かれていたと思うが、母親は娘を同性のライバルとして見ている節がある。自分は子育ての先輩であり、娘は常識のない初心者。娘をいつまでも半人前の子供と思い込み、娘のやることなすこと全てを信用しない。そりゃあ子育て歴1ヶ月の新人なので経験がないのは当然なのだが、私は既に30を超えたいい大人であり、ある程度の社会経験があり、やって良いことと悪いことの区別ぐらいついている。にも関わらず母親にはそれがわからないのだ。子供の頃のように、いつまでも非常識で無茶なことをすると思い込んでいるのだ。そんなことやるわけないだろう、というようなことをやると思い込んでいる。とにかく私個人を信用しないので、私の場合は、私が実践していた育児方法が書かれている本を読ませることでなんとか信用させるに至った。

いつか娘が里帰り出産する時は口出ししないようにしたい。

育児という仕事

一ヶ月ほど育児をしてみて思ったのは、育児は大変だが、誰にでもできるということだ。そんなの当然のことじゃない?と思うかもしれないが、「育児って誰にでもできる仕事だよね?」と言うと、たいていの場合(おそらく多くの場合母親から)「そんなことない!」とすごい剣幕で反論されるだろう。実際「育児 誰にでもできる」で検索すると、「そんなことありません!!」の嵐だ。しかしその続きをよくよく読んでみると、「人には向き不向きがある」とか「教養をつけさせたり躾をしたり大変なんです!!」といった回答がずらりと並ぶのだが、向いてないからといって、まるっきりできないわけではないだろう。それに、「誰にでもできる」イコール「大変じゃない」とは言っていない。もちろん大変だし、向き不向きがある(、というのは例えば専業主婦になってずっと育児をするか、保育園に預けて働くかどっちか選べるとしたら、働く方を選ぶかなーという人はどっちかといえば育児よりは仕事のほうが向いている、とかそんなかんじだろう)のは確かだろうけど、別に国家資格が要るとか特殊能力がないとできないことではない。そりゃそうだ。だって、そんなに育児が難しかったら人類はここまで繁栄していないだろう。誰にでもー男でも女でも、あるいは若者でも老人、は厳しいか、おじさんでもおばさんでもーできることだから、人類はここまで繁栄してきたのだ。それがただ、結婚するしない、子供産む産まない、という選択をできるようになったから、じゃあ育児大変そうだし仕事のほうが楽しいから子供は産みません、という人が出てきた、というだけの話だろうと思う。そして、教養とか躾の話は程度問題だ。例えば「子供を東大に合格させる」のは難しい。たぶん私は何回チャンスをもらったってできない気がする。それに、別に東大とまではいかなくても、ごく人並みに、一生自分で生きていける程度に学歴をつけさせたり、結婚できる程度にきちんとした性格で、身なりに気を使う人間に育てあげるのだって、きっと難しいことだろう。でも、がんばればできる程度のことであって、逆立ちしたって無理!というほどレベルの高いことではない。そういう意味で、「誰にでもできる」ことなのだと思う。そりゃあもちろん自分ががんばってヒイヒイ言いながらやってることを、その苦労を知らない人から「誰にでもできる」呼ばわりされたら「そんなことない!」と反論したくなるのはよくわかるのだけど。

出産してすぐの頃

あたたかいある日、私は子供を産んだ。

出産は壮絶だったがそれはさておき、私が一番驚いたのは夫の変わり様だった。さほど子供好きそうでない、むしろ子供嫌いだと思っていた夫がものすごく子供を可愛がっていたのだ。

何度も子供の顔を見ては可愛いとかどのパーツが自分に似ているとか言い(一応言っておくと新生児なので顔に特徴はなく、もちろん誰にも似ていない)、オムツ替えや抱っこを率先して行い(私がまだ動けないからというのもあるが)、似たような写真を何枚も撮っては家族用の写真共有アプリにアップロードし、面会終了時間になると「帰りたくな〜い」と言いながら名残惜しそうに病室を去って行った。また、ある時ふと目に入った夫の携帯の待ち受けは子供の写真だった。私がそれまで、あるいは今もなお、最もバカにしていた(している)類の人種、つまり、子供しか話題がないようなつまらない人間、に夫はなってしまったのだった。なぜだ?私はまだ自分のおなかの中でどんどん子供が大きくなっていったり動いたり自分のおなかから出したりして自分の子供という実感があるが、もしかしたら夫の子じゃないかもしれないじゃないか。ホルモンが出ているわけでもないくせにどうした?一体いつそのスイッチが入った?

子供に無関心な夫に比べたら非常に喜ばしいことなのだが、なんだか面食らってしまった。私だけが子供を持つことを拒否し続けてきたのだろうか?

そして私自身はといえば、何だか得体の知れないプレッシャーや不安を感じていた。

一つ目は、「もうのっぴきならない所まで来てしまった、私はこの子が一人前になるまで責任を持って育児を全うできるだろうか?」ということ。自分自身ですら自分の人生に苦労しているのに、自分の人生に100%満足しているわけではないのに、この子に幸せな人生を歩ませることはできるのだろうか?という自信のなさ。

二つ目は、夫が子供優先になってしまうことで、それまでの彼にとってのナンバーワンの座を奪われる恐怖。夫が妻に対してそういった感情を抱くケースはよく聞くが、逆はあまり聞かない。「旦那 イクメン 寂しい」等と検索しても自分と同じケースにヒットしないことがなおさら不安を煽った。多分予想に反して夫の子煩悩っぷりを見てしまったことによる戸惑いからなのだろう。妊娠以前のように、男女の関係にはもう戻れず、「パパママ」の関係になってしまうのだろうか?そしてまた、自分自身がまだ「ママ」になりきれず、出産後もいまだに夫と男女の関係でいたいと思い続けていることにも不安を感じた。やっぱり自分には育児は向いていなかったのだろうか?たしかに子供は可愛い。小さくてフニャフニャしてて、泣いてもちっともうるさいと思わない。でも、よく見かけるような「かけがえのない愛おしい存在」とかいうほど大袈裟な感動はなかったのだった。出産直前まで陣痛にビビり「やっぱやめたい」とまで思った。産まれたての子供の顔を見ても、「土偶に似てるなあ…」とどこか冷めたような感覚だった。可愛いとは思うが、どこか入り込めない自分と、どっぷり入り込んでいる夫とのギャップに悩んでいた。

産休中に読んだ本

 

産休中、あまりに暇なのと、来たる育児に対して気合を入れるべく読んだ本。 

 

俺だって子供だ! (文春文庫)

俺だって子供だ! (文春文庫)

 

 クドカンの育児エッセイなのだが、冒頭「僕は子供が苦手です。」から始まるというところが非常に良かった。それなのに子供が生まれると急にクドカンが親バカになるのが疑問でありつつも、「子供嫌いと言っていたクドカンですらこうなるんだから自分だって大丈夫大丈夫!」と自信がついた。ちなみに肝心の育児エピソードはもちろんクドカンの文章だから面白いは面白いのだが、よその子供の事情に興味はなく、フーンといった感じだった。むしろ大変そうだなあ…というエピソードばかりだった。ちなみにクドカンの奥さんもあまり子供好きそうな感じではなかったのにも関わらずしっかり親バカになったようだったので、そこも非常に勇気づけられた。

  

産んじゃえば?

産んじゃえば?

 

 

上記のクドカンも所属している「大人計画」の社長である長坂まき子の育児エッセイ。これまた肝心の育児エピソード自体には興味が湧かなかったが、巻末に収められている、伊勢志摩と田村たがめ(どちらも大人計画の女優)との対談が非常に良かった。どのへんが良かったかというと、伊勢志摩も、子供好きというわけではないが、自分の人生というものを考えた結果、子供を持つことにしたという所、また、実際生まれるまでも「もし自分の子供を可愛いと感じられなかったらどうしよう」と不安だったという所にとても共感できた。また、実際生まれてみると、天使のように可愛いと思えたというエピソードに勇気づけられた。あと、この3人がクドカンのことを「宮藤くんは絶対親バカになると思ってた!」と言っていたのも面白かった。

 

きみは赤ちゃん (文春文庫)

きみは赤ちゃん (文春文庫)

 

 

川上未映子の妊娠〜育児エッセイ。さすが賞獲る人だけあって文章が上手い。だが上手すぎて産後クライシスの章がものすごくリアルで読んでいるだけで辛くなり、途中で読むのをやめてしまった。自分がどんな風に辛く、またそのように辛く感じる理由が冷静かつ客観的に描かれており、子供を育てる自信が一気になくなった。まだ経験してもいない産後クライシスを恐れ、何も悪いことをしていない夫にイラつき、夫に対して「お前はどうせこんな風になるんだろう」と電子書籍のキャプチャ画面を送りつけるというホラーな暴挙に出た。おそらくラストは希望いっぱいのすごく幸せな終わり方なのだろうが、出産を控えて若干ナーバスになってる自分には読了は不可能だった。

女の人生一等賞

女の人生で、一番の勝ち組とはどんな人生だろう?

人それぞれという正論はさておき、今の自分にとっての理想の女の人生を考えてみた。

イメージ的には、少し前にやっていたドラマの松嶋菜々子の役だ。(あんなブラック企業嫌だけど…)

大手広告代理店のクリエイティブ職(激務かな?それは嫌だ…でもバリキャリっぽいのがいい。出版社?化粧品メーカー?)で、30前後に結婚。結婚相手は何か大手…ゼネコンとか?勤務。あまり激務すぎず、転勤もない会社が良い。東京か横浜のタワマンだかなんだかとにかくマンションに住んでいる。(東京ならどこだろう…港区はリッチすぎ?今なら勝どきとか?それとも吉祥寺?迷うわ…妄想だけならタダなので。)しばらくして出産。何歳差とか復帰スケジュールは不明だが子供は2人。男女の組み合わせは何でも良い。福利厚生バッチリの会社で復帰。保育園の送り迎えとかしつつたまに近所に住む自分の親にサポートしてもらう。出産前のようにはいかないとかなんとか悩みながらも着々と出世。

こんな感じか?書き出してみて、すごい陳腐さだな!と思った。が、とりあえず出産後も仕事を続けるのが自分の中でカッコイイ人生なのかな、と。お仕事マンガの影響を受けまくった世代だからか。優雅な専業主婦よりもバリキャリに憧れるようだ。とはいえ激務は嫌なので、バリバリ働いてる自分が好き、ぐらいの感じなんだろうなあ。(妄想のはずが現実のことのようになってしまっている。やばい)