手を抜くということ

私は昔から、何でもかんでも手抜きをしがちだ。親からも、「あんたはいつも楽な方の道を選ぶ」と言われてきた。何をやるにも手抜きばっかりで、適当で、雑で、その癖がずっと直らない。仕事も、丁寧にやろうと心がけても、いつのまにか手抜きというか、「ま、こんなもんでいっか」レベルのものを最初は目指す感じというか。というかむしろ、仕事の場合、最初から完璧を目指すよりは、最初はざっくり、後々仕上げていく、というスタイルの方が上手くいく気がする。

育児にしても、区の検診で離乳食の説明を聞いただけで、ああこりゃ無理だ、と思い、最初から適当にやった。お粥のグラムも測ったこともないし、おやきなんて作ったこともない。何の自慢にもならないが、昔から手抜きだけは得意だったので、育児に関しても、第一子とは思えないほど適当だったと思う。

仕事でも育児でも、手を抜くには勘所というものが必要だと思う。ある程度場数を踏むと、ここを押さえておけばいいな、とか、ここは適当にやっても大丈夫だな、とかがわかってくる。私は、場数を踏んでるのに手抜きの仕方がわからない奴はバカだなあとずっと思ってきたのだけど、そうじゃないのかも、と思うようになった。手抜きに一番必要なことは、手を抜きたい!楽したい!という強い思いだ。こんなこと胸を張って言うようなことじゃないのだけど、楽したいと考えている人間は、いかに手を抜いて成果を出すかを無意識に考えていると思う。楽をするための努力を惜しまないと言っても過言ではない。

たまに手抜きの仕方がわからないと言う人がいて、自分としては信じられないのだけど、そういう人は、そもそも手抜きしたい、楽したいという気持ちがないのだろうなー、頑張ることが苦にならないのだろうなー、と思う。

たまにネットの記事で、育児は手抜きも大事、なんて書かれていると、手抜きばっかりの自分の性格が良い方に転ぶこともあるもんだなあ、と思う。

で、結局

子供を産んで良かったか?子供を産まない方が良かったか?を定期的に考えているのだが、まあ良かったような良くなかったような…という微妙な塩梅だ。

でも、もし今の記憶を持たないで過去に戻ったら、きっと人生に退屈して、子供でも作るかなあと思っただろうし、今の記憶を持って過去に戻ったら、子供に会いたくて子供を作っただろうと思う。だから、今の子供がいる人生を選んでしまった今となっては、子供がいない人生なんて考えられない状態になってしまったんだろうなと思う。産んで良かった、という結論で合ってるのだろうか。

日々の子供の世話はオムツ替えや離乳食作り、寝かしつけ、いらんことをしようとしていないか見張りなど面倒なことばかりで、風邪をひいてもゆっくり寝るのも難しいし、ストレスの溜まることばかりだけど、だからといって一生会えないのは考えられないというか。

育児をやってみてわかったのは、自分は育児に向いていないということ、自分は機嫌の良い赤ちゃんのお世話を1日に2、3時間気が向いた時にやりたかったんだなあ、ということだ。子供というよりは孫が欲しかったみたいな感じだろうか。

「あたし、おかあさんだから」とお金を稼ぐこと

少し前に、私と類友と思われる夫や友人に「ねえねえ、最近こういうのあるの知ってる?」と教えてもらったのだが、「あたし、おかあさんだから」という歌がSNS上で炎上した。

私も「あれは炎上するよなあ」と思ったが、どこがあんなにも神経を逆なでするのだろう?と考えてみた。多分あれの男バージョンを作ったら、

 

俺だって下げたくもない頭下げて頑張ってんだよ

真夏でもネクタイ締めてジャケット着て外回りしてんだよ

毎日残業で子供の寝顔しか見れねえよ

 

みたいな感じになると思う。ネイル我慢するのと暑い中着たくないスーツ着るのって大体同等でしょ?で、こういう歌は世の中山ほどあるし別に炎上しない。現にあの歌も、色んなお母さんがたにインタビューして、世の中のお母さんに対する応援歌として作ったみたいだし。それが、ネイルとかヒールを我慢するお母さんを主人公にしたら炎上する。なんでだろう?自分でも何にイラついているのかよくわからない。それは多分、「辛いけど仕事を頑張る俺」はカッコいい、という風潮?があるからではないだろうか。では、何がそんなにカッコいいのかというと、やっぱり仕事してお金を稼いでいるという自尊心みたいなところに繋がるのではないかなあと思う。そりゃあもちろん家事やって子供を育てるということは人に威張れる立派な仕事とは思うんだけど、世間の風潮的に、「主婦は楽できていいね〜」みたいなのがあって。というか私もそう思っていて。多分多感な時期に働きマンとかのお仕事マンガを読んだ影響とかもあるのか、女もバリバリ仕事するのがカッコイイ人生!っていう価値観をずっと持っていることで、仕事してないイコール楽してる、カッコよくない、みたいに無意識に思っちゃってるのかなあと思う。

自分も、育休手当をもらっているとはいえ、やっぱり夫の稼ぎで生活しているという後ろめたさというかがあって、これが純粋な専業主婦だったらもっと「悪かったな、どうせ私は稼いでねえよ!」とやさぐれるかなあ、とは何となく思う。

こういう炎上の火種って世の中たくさんあると思っていて、例えばジョージアのCMに「世界は誰かの仕事でできている」というコピーがあるが、あれも穿った見方をすれば「悪かったな、どうせ私は仕事してねえよ!誰の役にも立ってねえよ!誰からも必要とされてねえよちくしょう!」ってなっちゃうかなあ、と思う。それはCMが悪いんじゃなくて、常日頃から仕事をしていない自分に引け目を感じていて、たまたまそこを刺激しちゃっただけというか。

何が言いたいかというと、稼いでないから炎上しちゃうのかな、というのはただの私の予想というか私の炎上ポイントはここかなあ、というだけの話なんだけど、もしそうなら、仕事して金を稼がない限りは、あるいはバリバリ仕事するのがカッコイイという考え方がなくならない限りは、ああいうお母さん応援歌って炎上し続けると思う。なので、歌なりCMなりはお母さん応援系はやめといたらいいのではないかなあ、と。

 

 

父親としての自覚

よく、育児に協力的でない夫に対して「父親としての自覚がない」と言われるようだが。

「父親としての自覚」って何だろう?

独身の頃にやっていた趣味をやめること?やりたいことを我慢すること?

それって、妻側が「私はやりたいことを我慢してるのに自分ばっかりずるい」ということでしょ?それを聞こえが良いように「子供のため」とか「父親らしくしろ」とか言ってるけど、要は「自分も我慢してるんだからお前も我慢しろ」ということでしょ?それってすごく暗いというか、建設的でない気がする。

自分の我慢を他人に強いるのではなくて、家族に迷惑をかけない程度に、自分も夫も我慢しないようにすればみんな幸せになれるのではないだろうか。

どうせ赤ちゃんや小さな子供なんて夜は早く寝てしまうのだから、例えばやりたいことは夜やるとか。スポーツジムだってデパートだって夜遅くまでやってるのだから、会社帰りに運動したり買い物すればいいし、飲み会だって、午前様になって次の日の休日寝て過ごすとか酔っ払って夜中子供を起こすとかでなければ行けば良いと思う。

妻も、夫が早く帰れる日は夜買い物に行ったり友達と食事に行っても良いし。

また、たまには託児所に預けて夫婦2人で出かけるのも良いと思う。子供がいると行けないようなレストランでランチしたり、映画を観に行くのも良いと思う。託児所に子供を預ける理由として「親がリフレッシュするため」というのもきちんと認められている。

なんで自分が夫に対してイライラするのか、どうすればそのイライラが解消されるのか、よく考えれば他人を不幸にすることなく自分が幸せになれると思う。

産後クライシス

ヤフーニュースの産後クライシスに関するこの記事、色々なブログでも話題になっていたが。

愛情、急速に冷えた 「産後クライシス」女性の半数経験

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171227-00000063-asahi-soci

「夫の育児や家事の行動に対する評価と比べた結果、夫との関係性の評価が悪い人は夫の行動に対する評価も低かった」というのが多分この記事のメインなのだが、私が思うに多分逆で、「夫の育児や家事の行動に対する評価が低いから、夫との関係性が悪くなる」のだと思う。

世の中の、夫に対する愚痴の多い人は、夫があれやってくれないこれやってくれない→いない方がまし→離婚した方が良いんじゃないだろうか?という思考の人が多いように感じる。

自分age他人sageしたいわけではないが、自分達夫婦は出産前後であまり関係性は変わっていないと思う。もちろん喧嘩は多いし、育児のことや子供が原因で喧嘩することもよくあるが、喧嘩が多いのは出産前からと変わらない。出産前は家事のことで喧嘩することが多かったが、喧嘩の原因が変わっただけで、特に関係性は悪くも良くもなっていない。夫は育児はよくやっているし、家事は私の方が家にいる時間が長いので負担は増えたが、家にいないということは物理的に家事ができないので一応は納得している。夫婦関係が良いので、出産前と同じようにたまには夫婦2人だけの時間が欲しいということになり、実家に預けて2人きりで遊びに行ってみようということになる。なので、産後クライシスは今のところはない。

こういうことを言うと、いい旦那さんで良かったね、と言われるが、そうではないと思う。私の夫は正直優しい性格ではないと思うし、元々そんなに子供好きというわけではない。なので夫が育児をよくやるのは夫自身の資質ではないと思う。では何なのかというと、手前味噌だが私のやり方が良かったと思っている。とにかくどんどん仕事をふる。もちろん指示は的確に。それから我慢しない。夫は自由に飲み会に行けて羨ましいなと思ったら、「自分ばっかり夜飲みに行ってずるい。私だって1人で夜外食したい」と主張する。自分1人が我慢しても、往往にしてそれは夫には伝わっていないから。それで私は夫の帰りが早い日は1人で焼肉を食べに行ったりしている。産後、夜の街を出歩くことがめったになくなったので、それだけでなんか懐かしいようなワクワクするような感覚になる。金曜の夜、居酒屋の前で一本締めをする酔っ払いのサラリーマンも何とも思わない(というかむしろ鬱陶しかった)のに、子供を産んでからは遠い存在になってしまった。また、飲み会に行かなくなってからというもの、刺身とか焼鳥とか居酒屋メニューが無性に食べたくなってしまった。こんな感覚は多分夫には想像もできないと思う。だから言葉にして伝えるしかないのだ。それと、たまには子供と離れたい、自分1人の時間が欲しいと思ったら正直に言う。たまによそのお母さんで、子供とひとときも離れたくないという人がいて、そういう人を見ると自分は母親失格だと劣等感を感じることもあるが、もう開き直ることにした。自分は離乳食も目分量だし子供の体重もこまめに計ってないし、雑でガサツで母親に向いていない女なんだから仕方ないと思うことにした。四六時中イライラしたお母さんと一緒にいるより、たまに自分の時間を作ってリフレッシュした方が子供の前で機嫌良くいられるのだから子供にとってもその方が良いに決まってる。世の中の多くのお母さんは、良いお母さんでいようと思い込みすぎて自分を追い詰めているように思う。元々真面目な自己犠牲タイプの人も多いだろうが、周りから「母親なんだから我慢しなさい」と言われてきた人も多いのではないかと思う。「周り」というのが特に自身の母親が多いと思っていて、自分も子供のために我慢してきたんだからあなたも我慢しなさい、というように負の連鎖的に我慢を強いられることが多いのではないだろうか。私の母親もそのケがあったが、どういうわけか私は気が強く自己肯定感が異常に強い女なので、私は私!とばかりに強気で言い返したため母親は根負けしてあまり口出ししなくなった。

とにかく大事なのは自分を見失わないこと。自分はどうしたいのか、どうすれば全員が幸せになれるのか頭を使って考えること。

産まれる前は頼りない旦那だけど産まれたらきっと変わってくれる、なんて思わないこと。変わるわけがない。自分だって産む前と何も性格は変わっていないのだから。

 

 

 

そんなの嘘

赤ちゃんが夜泣きしてもなぜか父親は気づかず、母親は気づいて起きる、というのがあるあるのようだが。

私は子供が何ヶ月頃からか忘れたが、休前日は夫に夜泣き対応を任せ、私は隣の部屋で寝るようにした(隣といっても声は筒抜け)。すると、平日は、夫は全く起きず、私のみが起きる。休前日は、私はよっぽど長い時間大泣きしない限りはほぼ全く気づかず、夫のみが起きる。

多分、「子供が泣いたら自分が対応しなければ」という意識の違いだと思う。

どこかの適当サイトで「女性はホルモンの働きで、赤ちゃんの夜泣きに合わせて眠りのスタイルを変えられるそうです。」なんて書いてあるのを見たことがあるが、そんなの嘘だ。だって私は休前日起きないから。本当に何でもかんでもホルモンのせいにするのやめてほしい。