子供ができない

さて自力でやる子作り計画、2周期目もだめだった。
そして最後の1周期。前回と同じくデジタル排卵検査薬を使って排卵日を特定し、コトにおよぶ。やっぱりだめだった。
3周期連続失敗したため、当初の予定通り産婦人科に行くことにした。
早速私はネットで不妊治療を行っている産婦人科を探し始めた。場所は、家から近いか会社から近いところが良いだろう。土日に行くことも考えると、家から近い場所が良いだろう。3駅ほど隣の駅に不妊治療専門クリニックを見つけ、行ってみることにした。電話をかけ、不妊治療を始めようとしている旨を告げると、数日後来るように言われた。
指定された日にクリニックに向かった。平日の朝だったが(午前休を取った)、ものすごく混んでいた。同じぐらいの年齢の女性がひとところに集まっているのは、なかなか不思議な光景だった。
この日はスタッフの女性に全体の流れを説明され、さまざまな検査を受ける必要があること、まずは、排卵を促進するために必要に応じて薬や注射をして排卵日付近にいたすタイミング法を試してみて、だめだったら人工授精、体外受精へとステップアップしましょう、とのことだった。その日できる範囲の検査(たしか血液検査だったと思う)をこなし、では次の検査のため3日後に来てください、と言われた。3日後も平日だ。また午前休を取らなければならない。というか平日の朝だの昼だのに来ることが前提で話が進んでいることに、こりゃちょっとやばいな、と思った。有休足りるのか?
3日後再度クリニックへ行き、いくつか検査をこなし、内診もした。当初説明されたとおり、まずは3周期タイミング法を試すことになり、私は指定された日にいたすことになった。
家に帰って、夫に「この日やれって!」と報告した。夫はなんかふざけた反応だったが詳しくは覚えていない。
このクリニックだけなのか他もそうかは知らないが、私が通っていたところでは、「では次は○日に来てくださいね」と毎回来院日を指定された。子供を持とうと決心したとはいえ、高いお金を使って体外受精をするほどのやる気はなかった私は少しひるんだ。もう引っ込みのつかないことになってしまった、という感じがした。
通院は、大体生理開始後3日目ぐらいと排卵前にあたる生理開始後10日目ぐらい、排卵を確認するため生理開始後17日目ぐらい、の月に計3回通院するのが定番になった。卵の成長具合によっては排卵前もう1回通院することになる。私は午前休を使ったり、定時で退社したり、土曜に予約したりして都合をつけていた。この頃仕事自体は大して忙しくなかったので、頻繁にクリニックに通うことはストレスにはならず、むしろ朝遅く起きれたり夕方早く帰れたりしてラッキー、と思っていた。よく不妊治療をしている人のブログを読むと、「私ばっかり何回も病院に行って痛い思いをしたりしてるのに!」みたいな記事を見かけるが、私のような怠け症の不真面目な人間にはそのへんは全くストレスとならなかった。
3周期タイミング法を試したが、だめだった。
1周期失敗するごとに、私はどんどん荒れていった。
通院しているのに成果が出ないことに焦っていた。もしかしたら私は一生子供ができない体なのかもしれないということが怖かった。
夫が出張や飲み会でタイミングを取れない時や、風邪をひいたこともあった。そんな時私は激怒した。一ヶ月に一度しかチャンスはないのに。私は今すぐ妊娠したいのに。飲み会?そんなもん知るか、休め。
生理予定日前に妊娠検査薬を試して、疑う余地もないほどの真っ白な陰性を見た時も落ち込んで大泣きした。怒って大泣きした。夫は当然理不尽に怒る私に対して不機嫌になった。そんなこと言ったってしょうがないだろ、と怒った。そりゃそうだ。つい最近まで子供欲しいなんて言ってなかったくせに、仕事やめたいから子供作るくせに、と思っていたかもしれない。言わなかったからわからないけど、私が夫だったらそう思っただろう。とにかく、回を重ねるごとに、排卵日付近と生理予定日付近の私たち夫婦の関係はどんどん悪くなっていった。
私はもはや子供が欲しいという最初の目的を見失っていた。ただ妊娠することだけがゴールとなっていた。目標に対して努力しているのに結果が出なくてイライラする。それはまるで資格試験のようだった。毎月試験に向けて勉強をして準備し、結果を待つ。落ちたらまた勉強して再度受験する。しかも、前回落ちた明確な理由がわからない。タイミングが合わなかったのか、卵子の状態が悪かったのか。ざっくりとある程度は予想はできるが、その回の失敗の直接原因まではわからない。ちなみに私はIT系の仕事をしているのだが、ソフトウェアのテスト手法にブラックボックステストというのがある。ソフトウェアのテストというのは、インプット(入力)に対して正しいアウトプット(出力)が得られるかどうかを検証するのだが、ブラックボックステストの場合、ソフトウェアの内部の動きがどうであれ、インプットに対してアウトプットが正しければOKというものである。不妊治療はこれに似ている。失敗原因は特定できないが、とにかく結果さえ出ればOKなのだ。
そんなストレスがギンギンにたまるブラックボックステストを毎月こなしていった。

子供を作ろう

プライベートや仕事に色んな不満が出てきた私は、子供を持ちたいと思うようになってきた。
そうと決まれば子作りのもう一人の担当者となる夫の了承を得る必要がある。
特に子供好きでも嫌いでもなさそうな彼だが、レストランや電車で子供が騒げば嫌そうな顔をするぐらいなので、私と同程度に子供嫌いであろうと思っていた。
「子供欲しいんだけど」と切り出した私に夫は「育休の後職場復帰して共働きできるなら良い」と答えた。
人によってはひどいと思われそうな回答だ。
私はなるほどと思った。おそらく私が夫でもそう答えるだろう。生活水準を下げたくないのだろうなと思った。
子供を持つこと自体には反対されなかったのは意外だった。
あんなにうるさいし金かかるし自分たちの自由気ままなハッピーライフが崩壊するのに?と思ったが、それを言うと「じゃあ嫌だ」と言われそうなのでやめておいた。
かくして、我が家の妊活は始まった。
妊活は私の趣味となった。新しいことを始めるのはワクワクする。子供ができる仕組みについてネットで調べる。生理開始約2週間後に排卵し、排卵日前に性交を行うと妊娠しやすい。排卵日までの間は体温が低い低温期。排卵日にがくんと体温が下がり、排卵後は体温が高い高温期。
また排卵日を特定するために毎朝基礎体温をはかるらしい。実に面倒臭そうだし、婦人体温計を買うのにはお金がかかる。
それよりは、排卵日付近に尿をかけて排卵日を特定するという、排卵検査薬を使った方法が短期集中型で良さそうだ。
排卵が起こる前に大量にホルモンが放出されるのをLHサージというらしい。LHサージが始まると排卵検査薬が陽性になる。排卵は、LHサージのピークから16~24時間後に起こるらしい。また、卵子の寿命は排卵後12~24時間、ただし卵子の受精可能時間は排卵後の6~8時間。精子の受精可能期間は3日間(私は専門家ではないのでこれが本当かは知らない)。私はこの仕組みをExcelでグラフにまとめるまでの気合の入りようだった。(話がずれるが私は昔からExcelを作るのが大好きだ。グラフだけでなく、旅行の日程表、仕事の線表など、ごちゃごちゃしたデータがスッキリと一つの表やグラフにまとまると得も言われぬ達成感に包まれる。)
早速私は薬局で排卵検査薬を買ってきた。陽性、つまりそろそろ排卵しそうだと、濃い青色の線が2本表示されるらしい。
生理開始日から10日、そろそろ排卵日が来そうだ。尿をかけてみる。濃い青色の線が1本と、薄い青色の線が1本表示された。どうやら陰性のようだ。
次の日。濃い青色の線が1本と、薄い青色の線が1本表示された。今日も陰性のようだ。
また次の日。濃い青色の線が1本と、もう1本の線は昨日より濃いようだ。でももう一本の線より濃いかはわからない。
なんだかよくわからないのでとりあえずその日にコトを実行することにした。
次の日、いまいちハッキリしない排卵検査薬に飽きてしまった。2日ぐらいサボり、また気が向いて試してみた。濃い青色の線が1本と、薄い青色の線が1本。排卵は終わったのか?まだなのか?さっぱりわからない。
まあとりあえず終わっただろうと仮定し、この月の子作りは終わった。
生理予定日までの間、子供ができる仕組みについてネットで調べものをし、しつこく夫に「ねえ、赤ちゃんできてるかなあ?できてたらどうしよう?どうする?」と答えの出ない質問をしてワクワクして過ごした。
ほんの少し前まで一生子供なんていらないとほざいていたのに、現金なものだ。
早く赤ちゃん来ないかなーと呑気に浮かれていた。
生理予定日を少しすぎた日、生理はいつもどおりやって来た。がっかりした。そうかー、まあそんな一回ではできないよね、と思った。
仕方ない。またトライしてみよう。前回使った排卵検査薬は排卵してるんだかしてないんだかさっぱりわからなかったので、今回はデジタルのものを使ってみることにした。陰性の場合はただのマル、陽性になるとニコちゃんマークが表示されるという。実にわかりやすい。アナログのものに比べると高いが、そのかわり成果が出るのならそっちの方が良い。
子供が欲しいとなればもう今すぐにでも妊娠したいのだ。私はせっかちな人間だ。結果の出ないことをダラダラ続けたくない。今回はデジタル排卵検査薬を使った方法を試すが、全部で3周期、つまり今回を入れてあと2周期やってできなかったら、産婦人科に行って、本格的に不妊治療を始めようと決心した。
またしても生理開始日から10日目から検査薬を開始した。いつまでたってもただのマルしか表示されず、もしかして私は排卵していないのか?と疑い始めた予想よりだいぶ遅い18日目、ついにニコちゃんマークが表示された。その時夫は会社の飲み会中だった。私はこりゃいかん!と焦り、飲み会中の夫にニコちゃんマークの写真をLINEで送り、大変!排卵する!早く帰って来いと告げた。正直、その日コトに及んだかは覚えていない。その日か次の日に実行した気がする。この排卵日付近に計画を実行せねばならないという任務は、後に夫婦間で大問題に発展するのだが、この頃はまだそんなことが起ころうとは思っていなかった。

だんだん楽しくなくなる生活

楽しい子なし東京ライフがなんだか楽しくなくなったのは急なことだった。
いや、ほんの少しずつその片鱗はあったのかもしれない。
女友達と話しているときに、「あれって去年だっけ?いや一昨年だ!やだ1年早い!」「私ここ3年ぐらいなーんにも変わってない気がするー」みたいな話が時折出ることがあった。でもそれは深刻なものではなく、ただ軽い自虐のようなものだった。たまにそれに、「○○ちゃんのとこの子供、もう3歳だって!こないだ見たらすっごい大きいの!だって3年前は赤ちゃんだったんだよ?倍以上でかくなっててさ、子供の成長ハンパねーーー」が付け足されるぐらいで、私達は変化のない数年間をただ変化がないと捉えていた。真剣に「どげんかせんといかん」とは思わなかった。
きっかけは急に、一度にたくさん、やってきた。
まずプライベートのこと。
その頃、女友達の中に、少しずつではあるが子供を持つ子が増えてきた。
子供嫌いとはいえ、友達が子供を持つのはとっても嬉しいことだった。出産祝いを割り勘で買い、赤ちゃんを見に行く。友達に似てるとかやれ旦那さんに似てるとかひとしきり言い合い、その後はいつもどおりの楽しいおしゃべり。出産や子育てについて、自分の知らないことをいろいろ聞くのも面白かった。私の友達はみんな面白い人たちなので、出産体験談や産後の旦那さんとの喧嘩の話も面白い。赤ちゃんがなかなか出てこなくてウンチングスタイルで出したとか、子供の面倒を見てくれない旦那さんにキレて家の壁を蹴ったら穴が開いた話とか、大爆笑だった。
でも、友達が子持ちになると、だんだんと遊びに誘いづらくなってきた。きっと、友達も旦那さんと子供と家族水入らずで過ごしたいだろう。きっと、ディズニーランドとか、なんか知らないけどボールでできたプールのある子供用のレジャー施設とかいろいろ行きたいだろう。遊ぶときも、夜居酒屋ではなくて昼カフェや友達の家。もちろん子供同伴。もちろん大好きな友達だから楽しいけど、お酒も飲めないし、カラオケでバカ騒ぎもできない。
そうなると、遊び仲間は夫のみになる。夫のことは大好きだ。でも毎週末、いつも同じメンバー。そうそう毎週新しいイベントがあるわけでもなく、だんだんとデートがマンネリ化してくる。
フェスも、毎年だいたい同じバンドが出る。というか、どういうわけだか、30を過ぎて、それまでほど音楽に興味がなくなってきたのだ。新しいバンドを聞いても、昔ほど頻繁に感動しない。
海外旅行は、楽しい。まだまだ行ったことのない、行ってみたい国もたくさんある。でも、海外旅行に行けるのは多くて一年に一回だ。つまり、一年365日のうち最高に楽しいのが7日間として、その他の358日は、そのたった7日間を楽しみにして過ごすことになる。長すぎる。
そう思うと、楽しく思えた生活が急に色あせてつまらなく思えてきた。夫と2人でお好み焼きを食べに行っても、よそのにぎやかな家族が気になる。子供がはしゃぎ、親が笑う。それに対して私達2人の大人は大爆笑することもなく、かといってお葬式のような雰囲気というわけでもなく、普通のテンションで会話と食事を楽しんでいる。動物園も、水族館も、ショッピングモールも、家族連れが主役で、30代のカップルは場違いのような気がしてくる。かといって私達は20代のカップルでもないわけで、始まりたての恋愛を楽しんでいるわけでもない。良くも悪くも平熱なのだ。
新しい趣味を始めようにも、いまいちハマりきれない。区民センターでたまにヨガに参加することにしたが、どハマリするわけでもなく、出かけるのが面倒でサボることも多かった。
もしかしたら、このまま何年もしたら、40歳や50歳になったら、あんなに楽しかった、ずーっと続いてほしいと思った2人きりの生活が、ちっともつまらなくなるのではないのか?だんだんとそう思うようになってきた。それは辛すぎる。だってまだ30代だ。残りの人生長すぎる。
夫と2人きりの生活は楽だ。家事の分担がうまくいかずイライラすることもあるが、基本的には2人とも大人であり、自分のことは自分でできる。私がいないからといって死ぬことはない。実際私が海外出張中にも夫は洗濯や掃除、自炊をしており問題なく生活しているようだった。でも、手がかからないことが、少しつまらなくなってきた。
こういうとき、ペットを飼うというのが定番の解決法なのだろう。私も夫も実家で猫を飼っていたこともあり、猫を飼いたい。だが、私達の住んでいるマンションではペットは飼えない。ペット可のマンションは高すぎて私達の収入では無理だ。それに私達は共働きだから留守中にペットを一人ぼっちにさせるのはかわいそうだ。それに旅行中にペットホテルかどこかに預けるのもかわいそうだ。すぐには解決できる問題ではない。
昔、「幸せの素」という番組でマツコデラックスが「自分のことだけを考えて生きて行くには限界がある。だから神様は結婚という仕組みを作ったのではないか」というようなことを言っていた。まあ実際は神様が作ったわけでもないし、そういう理由で結婚制度ができたわけではないのはわかっているのだが、それを見た当時独身の私はとても衝撃を受けた。当時私は今の夫と付き合っている状態だったが、「何?結婚しないとそんなことになるの!?」と衝撃とともに不安をおぼえた。その頃は仕事も遊びも自分のことでいっぱいいっぱいで、限界が来るなんで想像だにしなかった。その頃結婚願望は全然なかったが、こりゃ大変だ、結婚はしといた方が良かろう、と思った。(その後しばらくして私は今の夫にプロポーズされ、結婚することになる。)
今、同じようなことが起こっている、と思った。今回は結婚ではなくて出産・育児だが。手のかからない自分と夫のことだけを考えたり世話したりして生きていくことに限界が見えてきたのだ。言うなれば、生き甲斐がない、といったところだろうか。極端に言えば、なんかもう、死んでもいいかも、と思った。子供がいないうちしかできない遊びも十分やりきったし、もう、やることないかも、と。
そして仕事のこと。
私はその頃、あまり仕事が楽しくなかった。私が当時やっていたのは海外出張を含む仕事で、始めたばかりの頃は初めての海外出張に大興奮で、ガイドブックを買って毎朝モーニングを食べに出かけたり、免税店で化粧品を買ったり、すごく楽しかった。でも何回も行くうちに、海外出張がある週は丸一週間つぶれてしまい週末遊べないこと、慣れないホテル暮らし、毎日仕事仲間とともに行動することなどがストレスになってきた。もう十分いろんな国や都市に行かせてもらったし、もういい、もう行きたくない、と思った。
海外出張以外の仕事はその頃既に3年目にさしかかっていたが、どうにもこうにもスキルが伸びず(まあもちろんそれは自分のせいなのだが)、また領域的にもちっとも興味がなかった。興味がないからスキルも伸びないという悪循環だった。
もういやだ、逃げたい。仕事やめたい。スキルがないから転職もできない。
また私はその前の年に、主任に昇格していた。主任の次は係長だが、係長になれるのは大体40歳前後で、当時の私にはまだまだ先のことのように思えた。あまりに先のことすぎて、それに向かって何かをしようという気になれなかった。
そんなときに、子供を持てば、私が今抱えている問題は解決されるかもしれない、と思った。
プライベートな問題は、夫と2人で子供を育てることで、人生がもっと豊かに、人生の生き甲斐ができるかもしれない。
仕事の問題は、子供を持つことは直接の解決策にはならないけど、産休・育休を取れるから当面は仕事から逃げられる。職場復帰後はしばらく海外出張ができないし、今あるプロジェクトが永遠に存続するとも限らないから、きっと仕事内容も変わるだろう。
それに私も30代だし、そろそろ子どもを産めるリミットも迫ってくる。
親だって、どうやら孫が欲しそうだ。
最低の考え方だが、それまでずっとそれなりに楽しい人生を送ってきたのに、急に暗雲がたちこめてきた私にとってはそれが最善の策のように見えた。
うるさいとか金がかかるとか、今まで子供を持つことを拒否してきたありとあらゆる理由も、こんな私の問題が原因で、すべて覆されることになった。

もちろん、いざ育児を始めてみたら「きつい、辛い、こんなはずじゃなかった、やっぱり育児向いてない、自分の時間欲しい、仕事したい」と言い出す可能性はあった。というか、自分の性格上多分そうなる。それでも、その可能性を考慮してもなお、子供が欲しいという決心は揺らがなかった。そのぐらい、当時の私は行き詰まっていたのだ。

子供なんていらない

私たち夫婦は、結婚して5年目になる。

年数的にも、年齢的にも子供がいて全然おかしくない時期だ。

でも私たちはずっと子供を持つことを拒否してきた。つまり、ずっと避妊してきた。

理由はたくさんある。

まず単純に、子供が好きではない。ぶっちゃけ、嫌いだ。うるさいし、泣くし、わめくし、走り回るし、金切り声をあげるし、よだれまみれで汚い。

それに万が一子供を産んだとして、子供が不幸な目にあったらどうしよう。私の子供だ、きっと可愛くない。顔のせいでいじめられたり、ずっと彼氏・彼女ができなくて暗い青春時代を過ごしたり、ずっと独身だったら?イジメで不登校や引きこもりになったり、あるいはとんでもないいじめっ子になってよその子を怪我させたりでもしたら?私が謝りに行くのか?私がやったわけでもないのに?受験勉強も、大学受験に落ちて浪人したのも辛かった。二度と経験したくない。あんな経験させたくない。それにニートになったらどうしよう。私は一生働きづめで子供のために尽くし続けなければならないのか?障害を持っていたら?私は今まで電車の中で急に大声をあげたり走り出したり若い女の子に絡むような人を何度も見てきた。すごく怖かった。自分の子供がそんなふうに他人に迷惑をかけるのは嫌だ。それも私のせい?

それからお金がかかる。

食費とか服飾費の他にやれ学費だ、習い事だ、塾だ、子供1人育てるのに何千万だかかかるらしい。気が狂っている。その何千万かを自分のことに使えたらどれだけ楽しいか。海外旅行だって行き放題だし、都内の素敵なマンションにも住めるし、おいしいものもたくさん食べられる。

自分の時間だってなくなる。育児をしたり、子供が小さいうちは海外旅行だって行けないし、小学校のPTAだってやりたくない。今自由に買い物に行ったり美容院に行ったりしている時間が、全てではないものの、かなりなくなるらしい。そんなの耐えられない。

つまり、私にとって子供を持つことはリスクでしかなかった。その上リターンはあるんだかないんだかわからない。ハイリスク・アンノウンリターン、みたいな?そんなこと、誰だってやりたくないのは明らかだ。

私はまだ見たこともない自分の子供のことを思うといつも暗澹とした気持ちになった。

できれば、一生欲しくない。ずっと夫婦2人きりで素敵な生活を送ることが理想だった。

何年か前、会社の先輩のお宅にお呼ばれしたことがある。

その人は40代で子供はおらず、奥さんと2人暮らしだった。

家は都内の高級住宅街にあり、コンクリ打ちっ放しでインテリアもとっても素敵だった。私が覚えているのはルイスポールセンのph7だか5だか、とにかくすっごーく高ーいおしゃれな北欧の照明があったことだけだが、とにかく全てのものが高そうで、でもギラギラしてなくて上品だった。

奥さんもとっても素敵な人だった。顔は覚えてないが、派手でも地味でもない、すごく感じの良いきれいな人だった。

当時25ぐらいだった私は「これぞ私の目標とする人生!」と興奮しながら家に帰ったことを覚えている。

彼らが子供を望まなかったのか、欲しかったけど授からなかったのかは知らない。でも、その当時私が見たことのあるどんな夫婦より彼らはキラキラして見えた。

私も、夫婦2人きりで、誰にも邪魔されずに、ずっと自分たちの好きなことだけをして生きていきたい。だから、おそらく孫が欲しいと思っているであろう親にも「私は一生子供を持たないかもしれない」と宣言したこともある。親は「ふうん」という顔をしただけで深くは聞かなかったが、まともなオツムをした私の親はきっと子供の育て方を間違えたと思っただろう。

そんな感じで私は結婚してから5年間、好き放題やって暮らした。ずっと憧れていた都心の街に小さな1LDKを借りて平日は仕事をして遊ぶ金を稼ぎ、休日は昼まで寝て夫と買い物や映画デートをした。電動自転車を買って、東京の色んな街に自転車で遊びに行った。代官山、恵比寿、渋谷、天王洲、広尾、六本木、麻布、三軒茶屋、下北沢…。東京の路線図も大好きだった。JRだけじゃなくて東京メトロ都営線、バスだってそこらじゅうに走ってて、一時間に何本も来る。渋谷や二子玉川に電車だけでなくバスで行けるルートもあるなんて!

神奈川出身の私には、栄えた大きい駅が1つだけあるのではなくて、小さいおしゃれな街が点在する東京が新鮮で魅力的だった。

自分と同じように子供のいない女友達と遊ぶのも最高に楽しかった。居酒屋や友達の家でごはんを食べてお酒を飲み、その後は終電ギリギリまでカラオケで大騒ぎするのが定番だった。ザ・女子会といった感じだった。温泉に一泊旅行したこともある。彼女たちは同じ高校の同級生で、みんな大学や仕事はバラバラで、私は彼女たちを羨ましいと思うこともたくさんあったがマウンティング(という言葉がその当時できた。水面下で火花を散らし合うという意味のよくできた言葉だと思う)しあうこともなく、大好きな友達だ。

たまにはおしゃれなイタリアンやフレンチのディナーを楽しみ、夜遅くまでやっているカフェや本屋(ちょうどこの頃代官山に蔦屋書店ができた。都会に憧れる私にはかっこうの夜遊びスポットだった)へ行き、結婚記念日はおしゃれディナー、夏にはフェスや海外旅行に行き、クリスマスはベタにイルミネーションを見に行ったり、クリスマスプレゼントにお互い好きなものを買ってもらったり、いくら遊んでも遊び足りなかった。東京は毎年、いや毎月のように新しい遊びスポットができる。もうずーっとずーっとこんな生活が続けば良いのに、と思った。